自己満足には限りがありません。
ひとつの目標を達成したら、
また次の目標が見つかります。
それには終わりがなく、
ひとつクリアしたら、
また次が見えてきます。
目標を掲げ、それに向かって
必要な行動をしていきますが、
それは達成すべく目標です。
やるべきことをこなしていって
達成できるまで軌道修正をしながら
やり続けます。
達成すればまた次が見えますから、
それに向かって進んでいきます。
その繰り返しをしていると、
最後に行き着くところはどこなのか、
自分でもわからなくなります。
満足は次の不満足を生み出します。
新たな目標が見つかれば、
それに向かって進みます。
満足しきってしまえば、もう何も
やる気が起こらなくなるでしょう。
20代の頃に求めていた”成功”とは
違う”成功”を今は求めています。
20代の頃は、物質的な成功、
目に見える成功を求めてました。
年収がいくらとか、
贅沢な生活をするとか。
でもそれを手に入れてみて、
自分が本当に欲しているものでない
と気づきました。
ひとつの欲求を満たせば、また違う
ニーズが見えてきます。
その先にあるものは、いったん
それを手に入るという経験を経て
みないとわかりません。
手に入れる前から、
「どうせ、こんな風でしょ」
と言ってしまうのは、
何も経験していないと同じです。
百聞は一見にしかずです。
だからどんなことでも
やってみるといいです。
水平線が見えるだだっ広い海を
船で進んでいると、その水平線の
向こうには何があるのか見えません。
ずっと昔は、水平線の向こうは
崖になっていて滝のように落ちてしまう
と思っていた人たちもいたようです。
危険を伴うとしても、
そこまで行ってみたいという人の
好奇心を止めることはできません。
その人を動かすには、
「そこまで行ってみたい」
「その先に何があるか知りたい」
という思いだけで十分です。
強い思いがあれば、人は動きます。
しかし多くの人がその思いを抱く
以前にあきらめています。
水平線の向こうまで行く覚悟があれば、
いつか宝島にたどり着けます。
もしかすると青い鳥の話と同じで、
宝は足元にあるのもしれません。
でもそれはいろんなプロセスを経た
からこそ気づくことです。
自分の経験の範囲、満足の範囲は
ここまでと思ってしまえば、
そこまでですし、もっと先に行きたい
と思えば、道は拓けます。
それはその人の選択なので
成功を求めるより、安全を求めるのも
ありでしょう。
そもそも何が成功なのか、
定義できませんし、
その人がどんな時に幸福を感じるか、
みんな違っています。
しかしながら「ここまで」と自分が
思っているところは、まだ出発さえ
していないところかもしれません。
まずは水平線まで行ってみる。
それから何が見えるか、
自分の目で確かめてみるのも
悪くないと思います。
原田正文