原田正文です。
僕たちが“現実”だと思っているものは
すべて解釈によって変わります。
解釈次第で、
事実さえ変わります。
「成功している」「失敗している」
「充実している」「不満を抱えている」
それぞれの人が
いろんなことを言い出します。
でもそれらは“一時的”なもので、
やはり解釈次第です。
あなたの両親は厳しかったでしょうか?
門限がある、
欲しいものを買ってもらえない、
勉強しろとうるさい、
家のルールを徹底された、とか。
それを
「愛されている」ととるか?
「愛されていない」ととるか?
やはり、解釈です。
これはこうだろう、
と知ってるつもり。
わかっているつもり。
人は経験をベースにして、
いろんなことを
自分なりに解釈しています。
僕たちはこれを
あらゆる状況で無意識にやっていて、
友人関係、恋愛関係、
親子関係、仕事関係、
全てに出ています。
例えば、
「犬に思いっきり噛まれたことがある」
だから「犬は怖い動物だ」という解釈。
そう考えれば、
その人はもう犬には近づけません。
過去はこうだった、
だからこれもきっとこうだろう。
自分が解釈を作り出しています。
そしてそこに気づかないと
人生はいつまでも同じことが起きます。
できない、満たされない、、、。
寂しい、愛されない、、、。
その繰り返しです。
だから自分の解釈を固定するのではなく、
「すべてのことは一時的なもの」
「何事も自分の解釈次第」
と思いましょう。
極論、
自分は何者でもありません。
それも解釈次第だから。
何者でもないから、
何にでもなれます。
原田正文