ぶっちゃけると僕はカッコいい話、
あんまりできない。
特に自慢できる話もない。
過去を振り返ると、
・クレジットカードのキャッシング返済
・アコム&プロミスへのリボ返済
・毎月回線が止まる携帯電話
・滞納する国保や住民税や家賃
・奨学金の返済
・エアコンの壊れた五畳にも満たない部屋
・今にも壊れそうなポンコツの軽自動車
・先輩経営者に迷惑をかけ、
道端のコンクリートで土下座
・お金がなくて吉野家の牛丼つゆだくで
腹を満たす日々
さすがに、酔っぱらいの落とした財布を
拾って、お札を抜いたときには
(オレ落ちるところまで落ちたな…。)
と悟った。
25歳まではどうしようもなかった。
何もないくせに、何かにしがみつき
しょーもないプライドだけで
生きていた。
しかし、それさえもズタズタにされたとき、
自分のやり方が間違っていたことに
やっと気づけた。
(人生をやり直そう…。)
そこからの5年間はあんまり記憶にない。
毎日を生きるのに必死だったし、
結果が出たところでぬか喜びする暇も
なかった。
結果が出ないことにもいちいち凹む暇も
なかった。
詰めて、詰めて、詰めて、
甘い自分に気づき、反省し、
詰めて、詰めて、詰めて、
詰めることのしんどさもいつの間なくなり、
結果を出すのが当たり前になった。
恐怖といち早く向き合うことこそ、
一番成長の幅が大きいことを知った。
世界は
“在るものが在るだけ”
と気づき、解釈や概念、自分のエゴを
できるかぎり排除した。
(もちろん100%は不可能だったけど。)
自分に向かっていた欲のベクトルを
相手に変換させたことにより、
追い風も起きた。
贅沢品、絶景、華やかな生活、
なに不自由のない暮らしの先には
本当の意味での愛とつながりは
持てないことを知った。
自己顕示欲で進むエネルギーだけでは
精神と健康がどんどん削れていく。
本人はそれにも気づかず、
あとにも引けなくなるから余計に恐い。
30代になってからは、
今まで身につけてきたものを
1枚1枚はぐようにしている。
そうじゃないと、孤独になるからだ。
もともと何もなかった僕らなのに、
何かがまとわりつき、自分で自分を
「固定」していく。
そのことにも気づかずに、
これしかないんだ!
って勘違いしがちだから余計にタチが悪い。
そもそも全ては“借り物”だと思っている。
衣・食・住・娯楽
だれかのお陰で成り立っている。
そもそも借りてるんだから、
自分のものじゃないんだから、
固執するのもおかしな話だ。
感謝しかない。
僕らは何者でもない。
何者かを創っているとしたら、
それは自分自身。
だから、本気になれば
僕らは何にでもなれる。
だから、裸になればいい。
正直に生きればいい。
正直な人生には
正直な現実が現れてくる。
そこで、向き合えばいい。
必要なことだけ起こる。
奇跡を起こすも起こさないも
自分次第。
いつか来る奇跡を
当たり前の日常にするのも自分次第。
裸一貫。
妄想や嘆く暇あったら、
今この瞬間に裸になって向き合うこと。
それだけなのかなって思う。
人生ってめっちゃシンプル。
だから、今日もジムで筋トレする。
トレーニング、服を脱ぎ、
鏡で筋肉の動向をCHECKする。
筋トレは嘘つかない。
100kgは100kgでしかない。
だから鍛えるのみ。
筋トレ最高。
奇跡を起こそう。
(オチが自分でよくわからん。)
原田正文