人はそれぞれ違う価値観を持っています。
親も育ちも環境も違うし、
体験してきたことも全然違います。
良いことも悪いことも
その状況やレベルによっても異なるし、
良い、悪いの基準も人によって違います。
ある環境においては
「素晴らしい!」って評価する人もいれば
「ひどいすぎる!」って批評する人もいるし、
何も感じない人もいます。
それに気づいてくると、
「人は違って当たり前」と思いますが、
それに気づくまでは、
「みんな、自分と同じ体験をしている」
と思いがちです。
自分が見た、聞いたことと
同じことを他の人も体験している
と思い込んでます。
でも実際は違います。
なぜなら同じものを見ていても
一人一人、体験は違うからです。
僕は基本的に自分が絶対的に
正しいとは思っていません。
しかし、時として
自分の正しさを証明したい、
認めてもらいたい
って思っているかなと思います。
やっぱり人である限り、
誰かに認めて欲しい思いは
あるんじゃないかな?
だから、ついわかってくれる人を
求めてしまいがち。
わかってもらえないと
腹立てたり、落ち込んだり。
自分の価値観を大切にし、
その価値観に合うものは採用して、
合わないものは不採用と
無意識でしてしまいます。
この人は気が合う、気が合わない
と区別します。
ある程度はいいけれど、
その区別をはっきりしすぎると、
今度は自分が苦しくなってしまいます。
自分が大切にしている価値観は
絶対的なものではないから、
人が同じ価値観を持ってなくても
それは本当は全然オッケーなはず。
人それぞれの価値観があって、
それはその人の人生経験に基づいたもの
であるから、その人にとっては
それは正しい価値観となります。
みんな、それぞれ違っています。
違った価値観を持っているけれど、
僕たちはその雑多な価値観の中で生きています。
どれが正しい、正しくない、
ではなくて、どれも正しいし、
どれもあり、です。
僕たちは一人じゃ生きていけないし、
いつも誰かに助けてもらって
今まで生きてこれてます。
いろんな価値観のある中で
助けられて生きてきてるんだから
別々なようでつながっています。
自分の価値観だって、もともとは
誰かから教えられたもの。
僕たちはみんな、
数珠つながりみたいにつながってて
みんな自分の一部だし、
自分もみんなの一部になっています。
そう思うと、
自分の意見を押し付けるよりも
違う価値観がある中で、
どう発展していったらいいかな?
と考えることができるように思います。
自分がどう優位に立つか?より、
どう周りの人のヒーローになれるか?
どうお役に立てて、
どうやったら目の前の人を救えるのか?
相手は自分の鏡。
鏡は自分を映し出しますが、
反転させて映し出すものでもあります。
つまり、
自分と価値観が異なる人や出来事こそ、
自分にとって、次の成長のために
必要なものだとも言えます。
そう思うと全ての状況が楽しくなります。
進化しかないから。
自分の周りの世界そのものをまるっと
受け入れて、自己の責任とし、
他者を愛し、楽しく日々を生きていきましょう。
原田正文