努力が報われない、と嘆く前に。

原田正文です。

 

「自分は認められていない」
と感じる人がいます。

他の人より頑張ってるし、
意識もしているし、
役にも立っているはず。

 

なのに、
他の人の方が信頼されてたり。
先に出世したり。

そこでヘコみます。

 

 

しかし、評価は他人がするものです。

自己評価が、
必ずしも他評価と一致するとは限りません。

 

あなたの自己評価がいくら高くても、
あなたがどれだけ努力したとしても、

周りの評価が低ければ、
そういうことになってしまいます。

 

評価をするのは身近な人、
あるいは世間ですね。

 

 

しかし。

そもそも努力って、
「周りに認められなければ報われない」
というものではありません。

 

努力の報酬は、
“やった”という自己満足です。

 

「人に認められる=努力が報われる」ではなく、

自分がやると決めてやり遂げたなら、
それでいいんです。

 

人の評価に基準を置くより、
自分の基準を高くしていけば、
自ずと力がついてきます。

 

 

ただし、

努力すればなんでもいい
というわけではありません。

無駄な努力をすると
時間を失います。

 

誰も見向きもしないチラシを、
街で何千枚配ったところで
意味ありません。

誰も受け取ってくれないのに、
「毎日何時間も粘って努力している」
それは無駄な努力です。

 

それよりも、

人の目に止まるチラシを考えるとか。
他のもっと効率の良い集客法を見つけ出すなど。

もっと結果が出そうなことに
時間を費やすべきです。

 

 

サッカーの練習を10年してたとして…

練習を1年しかしてない
ルーキーに負けたなら、
あなたの努力が足りないということです。

たしかに「がんばっていること」は
認められるでしょう。
でもサッカーの試合に出られるのは
ルーキーの方です。

だからもっと努力しないといけない。

 

 

やった量の勝負ではなく、
どういう結果を出すのか?の勝負です。

 

「頑張ってるからそれを認めて欲しい」
というのは、甘え。

“認めて欲しい”という動機でやると、
方向がずれてしまいます。

 

自分が正当に評価されていないと思う人は、
何のためにやっているのか、
もう一度考えてみるといいでしょう。

 

原田正文