自分の解釈にすぎないということ

原田正文です。

人は誰でも
自分は超えられません。

どんな出来事でも、
「自分」というフィルターを
通して見ます。

目に入るもの、触るもの、
感じることすべて、
自分の解釈が入っています。

人は人で、
同じものをあなたとは違った風に
見たり感じたりしています。

純粋に出来事そのものを
見ているのは…
お釈迦様くらいかも?(笑)

ただ、人間はそんなことを
常に考えて生きているわけではないので、

ついつい「自分」のフィルターの
存在を忘れてしまいます。

あの人は態度が悪いとか、
あの人はわかってくれないとか、

自分はダメだとか、
うまくいかないとか、

そう言って悩みます。

でも、それはすべて自分の解釈です。

今日だめでも、
明日うまくいったら
「成功できた人」です。

で、

明後日まただめになったら
また「うまくいかない人」です。

そうやってコロコロ変わる
天気みたいなものです。

ずっとうまくいかない期間が続くと、
「自分はだめだ」と思い込んでしまいます。

でも、それって
ただの自分の解釈です。

その部分がだめでも、

自分が気づかないところで
実は他の人より
うまくいっていることもよくあります。

仕事でヘマしても、
恋愛がうまくいってたり。

もしあなたがそうなら、

仕事は順調だけど
家庭崩壊している人から見たら…

あなたがめっちゃ羨ましいでしょう。
「あいつはいいな〜」って思います。

何が良くて、何が悪い、
っていう基準も自分の解釈です。

その基準がどこから生まれるか?

っていうと、「記憶」です。
もしあなたの記憶が
他の誰かと入れ替えられたら、
あなたは別の人になりますよね。

僕たちは記憶の中で生きています。

そしてそれは、
いかようにもなります。

今の自分がうまくいっていない
と思っても、
それにこだわる必要はありません。

その記憶を取り払えば、
何にでもなれます。

結局何が言いたいかっていうと、

「真面目に悩みすぎないでいい」
ってことです。

嬉しいことも、悲しいことも、
「自分が作ってるだけだな」と思うと
どんなことでも変えていけます。

原田正文