もし明日この人が死ぬのなら

世の中、本音と建前が違う人は
いっぱいいます。

必ずしもそれが悪いわけではなく、
そのおかげで、対立やケンカをせずに
成り立っているところもあります。

しかし、大事なところで
本音が言えないようであっては
物事を突き詰めていけません。

本音を言う勇気がない場合もあれば、
それが言える環境ができていない
場合もあります。

それを言ったらその人との関係が
崩れるかも?と思ったとしても、

建前だけの付き合いが続くなら
その付き合いは本当に大事なのか?

お愛想だけで付き合う関係に
発展性があるのか?

案外腹を割って話したら、
わかってもらえはしまいか?

〇〇さんが仕事をしてくれないとか、
〇〇さんのせいで話がまとまらない

などは会社ではよくある話です。

確かに誰かのおかげで仕事が
進まないかもしれませんが、

愚痴ばかり言っていると
楽しくありません。

挙げ句の果てには、

「政治が悪い、世の中が悪い、時代が悪い、
自分にはどうしようもないことばかりだ」

と愚痴ります。

愚痴りたくなる気持ちはわかります。

いろんなフラストレーションが
溜まっているときは、
つい悪口を言いたくなります。

生きていれば、気に入らないことは
出てきます。

だからって、そんなに
そこにとらわれない事です。

そうやって愚痴っても悪口言っても
状況は変わりません。

自分が毒を吐いた分、あとで
自分にその毒が返ってきます。

不満があって文句や悪口を言う人は
たいてい行動していません。

自分のフラストレーションの
はけ口にしているだけ。

自分が行動できなくて何もしてないのを
他のせいにして言い逃れしています。

自分が改善しようとか思ってなくて、
自分の正義を押し付けるところで止まって
それ以上先のことをしていません。

そこに気づいた方がいいです。

もしその人がいなくなったらどうなりますか?

ますます混乱するかもしれないし、
寂しくなったり、辛くなるかもしれません。

悪口を言いたくなったとしても、
悪口言って気晴らしするのは子供じみています。

子供が「あの塾行きたい」と言うので、
親が金を出して行かせてみたら、
今度は「遊べないからやめたい」って
言い張るのと同じです。

自分の思うようにしてくれないから
って駄々こねています。

子供の時は、行く学校を変えるとか、
すぐにできないことはありますが、

大人は自分で選ぶことができます。

自分で自分のいる環境を変えることができます。

自分で変えようとしないで
悪口言ってるならただのわがままです。

それをやっているとどんどんと
自分が苦しくなります。

愚痴や悪口を言うと、
自分で自分を下げちゃうから
言いたくもなるだろうけど、
それは避けたいです。

つい毒を吐いてしまったなら、どこかで
その埋め合わせをしておくといいです。

会社のトイレ掃除をするとか。
道端にゴミが落ちてたら拾うとか。

一日一善みたいなことをちょこちょこと
やっておくといいです。

それやっていると悪口言わなくなります。
あんまり気にならなくなっていきます。

人は人、自分は自分って思えるようになります。

そうやって冷静になれると、
そこから何かいい案がないか?
どう改善していこうか?
と考えることができます。

言った通りにやってくれないとか、
期限を守って提出しないとか、
何度言っても同じ間違いをするとか、

ムカつくこともあるけど、

そんな時は

「こいつが明日死ぬとしたら、
今、自分はどうこいつと向き合うだろうか?」

と考えます。

そうすると、イラつくより、
最善の方法を考えようとするし、
相手の立場になって考えやすくなります。

どんな人にしろ、これから死ぬという人に、
「クソくらえ」「ざまあみろ」とか言えないです。

みんな、最高にいい人間なんですよね。

自分なりに一生懸命、
愛されたくて認められたくてやっています。

だからそこを認めてあげて、
その人のためになるであろう対応をすること。

自分もまだまだ至らないので、
その対応が正しいかどうかはわかりません。

でもその時、その時に
最善を尽くすことが大事です。

自戒を込めて。

原田正文