過去は変わっていく

僕たちは、物事を自分の物差しで解釈しています。

その物差しも親や先生から
もらったものだったりします。

もし今、記憶喪失になったら、
今までの思い出は消えてしまいます。

自分が何者かも思い出せません。

親のことも覚えていなかったら、
存在すらわかりません。

もし誰か他人の写真を見せて
「これがあなたの親ですよ」と
といえば信じてしまうでしょう。

つまり親さえも、記憶が変われば
すり替わってしまう情報ってことです。

あなたの脳の中のデータです。

今ここにいないんです。
記憶の中。

人は自分を超えることはできません。

自分の認識がすべてです。

世界で解釈が変わってはいけないものは歴史です。

歴史は過去の出来事です。

過去に起こったことだから
それは事実ととして変わらないはずです。

データである必要があります。

でも研究すればするほど、
過去も確実でなくなっていきます。

この人物は存在しなかったんじゃないか?

実はこの人って
こういう陰謀があったんじゃないか? 

これは勝った側が作った嘘だ。

とあとからいろいろ出てきて
教科書に書かれてもどんどん変わります。

過去のはずなのに歴史は動いています。

解釈は変わっていくんですね。

過去がこうだった、親がこうだったって
記憶があなたにもあるだろうけど、
それだって本当かどうか怪しいです。

まず自分のフィルターを通してますし、
記憶そのものも作話されている可能性があります。

解釈はどんどんと変わります。

自分で勝手に思い込んでますが、
その思い込みが変わると、
過去もガラリと変わります。

だから決めつけないことです。

「これはこうだ」って
思ってしまわないほうがいい。

違う事実があるかもしれないから。

ずっと血の繋がった親だと思っていたのに、
二十歳になった時に「実は血が繋がってない」
なんて告白されたら、その人の過去は
一気に変わってしまいます。

過去の出来事は変わらなくても
それに対する解釈や気持ちが変わります。

自分の信じている過去も
そんなもんだと思ったがいいです。

そこに固執しなければ
あなたは何にでもなれます。

もともと何者でもないから。

悩んだり苦しんだりする必要もないです。

何もない世界で、それらを作って
苦しんでいるだけです。

そこに気づいてそれをやめたら苦しみは消えます。

自分が作り出しているだけだから。

仏教っぽくなってしまうけど。

どうせ作るなら楽しいもの、
人の役にたつものを生み出すがいいよね。

いいものを生み出せば、
巡り巡ってそれが自分に返ってきます。

原田正文